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『釣り上げては』アーサー・ビナード [poem]


 同じ日本人よりも肌合いとか考え方が妙に一致する外国人がいるものだ。それは先日書いたピーター・バラカン氏、そしてアーサー・ビナード。彼の場合、もしかするとすべての日本人にそう思わせるのかもしれないのでこちらの片思いのようでおこがましいのだが。しかも変な日本語でこのブログは書けないぞという緊張感があふれてしまう。たぶん日本人が理想とする言葉遣いや生活の仕草、考え方を持っている人なのだろう。日本の詩人のだれよりもなつかしい詩人だ。谷川俊太郎氏が近くにいるとき、背筋が震えたので、すぐその存在に気付いたものだ。中原中也がそばにいたら嫌悪感に殴りかかるかもしれない。しかしアーサー・ビナード氏がそばにいても違和感なく、自分は愚かな愛すべき日本人のひとりとして、またはただの風景として彼に観察されるままになっているのだろう。彼の日本に対する視線は非常に優しい。日本にいる外国人に対しても優しい。優しくも厳しいのは彼の思想の潔癖さなのだが、それを詩の文章力が巧みに緩和し、結局は増幅している。心が弱まり、薬も効かず副作用だけになるような眠れぬ夜など、彼の他に読むべき詩は見あたらない。書かれた言葉の連鎖を追うだけで共感が胸にあふれていくのだ。
『リンゴ園の宇宙人』という詩は2週間ほど続けて子供達に読み聞かせてやったことがある。回数を重ねるごとに沈黙がひろがっていった。でもこれはもったいないことをしたのかもしれない。詩は薬のように消費してしまってはならない。だから彼の本はこの1冊しか持っていない。そろそろ次の注文をしようかとアマゾンを開いているところなのだが、本屋で買いたい気もする。


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