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武満徹 『海へ』 アルトフルートとギターのための を聴く、演奏する その1 [Classic]

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 宇宙の時間を一部分を切り取ったような始まりも終わりもない音楽
これは武満徹が自らの音楽のありようを語った言葉であるが、海も彼にとっては当然宇宙の一部で、宇宙に連なるものであったはずだ。宇宙も海(の底)もかなり絶望的な沈黙の世界である。反面、宇宙は饒舌でもある。おびただしい電波や放射線、飛び交う星間物質。そして海も50億年の進化の末の遺伝子のスープとしての饒舌さを持つ(その遺伝子はいみじくも宇宙に由来するという)。その饒舌な沈黙と孤独に耐えがたくなったとき、武満徹の音楽は求められ存在を始める。沈黙と測りあえるほどに。
 たしかに武満の管弦楽作品は宇宙を感じさせるものが多い。実際その名も『カシオペア』だったり、『オリオンとプレアデス』だったりする。しかし彼の愛したフルートとギターの作品では妙に人間くさい曲が多い。それは『ひとの声』だったり『巡礼』だったり『エア』だったり『12の歌』だったりする。そしてこの『海へ』も、とても生物学的な曲だと思うのだ。
 『海へ』は氏の作品の中でも異色な部分が多い。まず、短い曲なのに3部に分かれて構成されている。ドビュッシーの『海』を意識したものとも受け取れるが『海』はここでは音としては片鱗も現れない。また1,夜 2,白鯨 3,鱈岬と曲が進むにつれてリズムと和声に特有の強いモーションが現れる。これは宇宙的時間の音楽を自他ともに認める武満の作品としては異例の賑やかさである。また3種類ものバリエーションがあり、ギターとのオリジナルに弦楽とハープの『海へⅡ』、ハープとの『海へⅢ』がある。これは彼がこの曲を非常に気に入っていたということでもある。
 ドビュッシーの『海』が海岸からながめた海面や風の時間的な変化をスケッチした作品だとすれば、『海へ』は海の内部でおこる有機的な現象を音にしたものだといえる。単なる標題音楽や描写音楽ではないという反論はあるのは承知だが。そしてさらに言えば自分にとって『海へ』の視点(があるとすれば)の主体の一つはクジラだということが意識から離れない。それは彼自身がこの曲について語った「できれば鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい」という言葉によって刷り込まれたものだが。
 具体的にこの曲のいくつかのポイントを拾い集めてみる。
 まずフルートに関しては同音異響ともいうべき音の使い方が特に目立つ。声も楽器の音も基本的にはベルカントであることを要求する西洋音楽の原則を逸脱するようなフルートの音が多用されるのだ。ホロートーンといわれる特殊奏法で、それは
1 音色を曖昧にする(音の透明度を変える)
2 音程を曖昧(やや低めのことが多い)にする
という2種類がある。
 また特殊な指使いによる曖昧なトゥリラも多い
 ホロートーンやホロートーンのトゥリラは氏のフルート音楽では比較的多用されているのだが、この『海へ』に限っていえば、ふつうの音からホロートーン、またはその逆の動きとして使用されることが多い。これは自分には「海中から空気中へ、またはその逆の動き」の描写、または光が水中から空気中に射出するときの屈折率の表現や光速の変化の表現、それから混沌から純粋世界への移行(又はその逆)の表現に感じられる。弦楽ではもっぱらエーテルのなかを進む光が重力場にねじ曲げられる様を表現したような音使いが多いのだが、フルート音楽ではより具体的で地上のニュートン力学につらなる古典物理学的現象を表現しているかのようだ。
 たとえば第一曲の「夜」冒頭でフルートのA音(アルトフルートではD音)のホロートーンからふつうの音への移行がppp(無音)からの長い大きなクレシェンドをともなって、ギターの和音に合流する。
 これはまさにクジラが深い海からゆっくり浮上し、夜の海面に静かに達し、泡と波紋が拡がり、それを月が照らし出したという描写だといって大きくはずれてはいないのではないだろうか。(この場合のホロートーンは1のホロートーンが適切であろう)
 こんな風に考えると『海へ』にはかなり明確(正確)な映像のオプチカルトラックを付け加えることができると思うのだ。ちょうど武満徹がおびただしい映画音楽のサウンドトラックを制作したように。ギターの和音からフルートのホロートーンが現れるところは海底に射す一条の陽光だし、ホロートーンのトゥリラが徐々に普通の楽音に変わるところは波紋の収束だったり、風がやみ、凪ぎわたる水面。ギターの純正律からホロートーンでフルートが音程を逸脱するところは無機物から有機物が発生する場面だ。このようなことは思いこんでしまうともう変えられない。
 音楽を言葉にしてはならない。映像などもってのほか。予断を与えるな!なんて叱られそうなのでこれ以上はやめるけれど・・・・。
 最近youtubeには外国で演奏された『海へ』の投稿が多い。Toward the seaで検索してみて欲しい。みんなひどい演奏だ。コメントも「これってニンジャの音楽だろ」「いやこの音楽はLoveだ」なんていうすごいもの。
 武満徹は宇宙でにやにや笑っているのか。ダメです!って怒っているのか。わからないけれども。
 次はこの曲の演奏についても書いてみようと思うのだ。
 いよいよ明日。海へ初演コンビの再演。小泉浩 武満徹生誕80年記念コンサートはこちらへ
http://web.me.com/herosia2/koizumi/concert.html

Selmer Soprano sax Model26 続き [sax]

 わたしってすごいんです。強くくわえたり、弱くくわえたり。深くくわえたり,
浅くくわえたり。固くしたり柔らかくしたり。ぬらしたり乾かしたり。ついにはちょん切っちゃったり。なんせ相手はは84歳のおじいちゃま。みかけは立派で、まっすぐで黒光りさえしているのに、音程が全然とれなくて。それでとことん研究しちゃいました。
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 こういう文体に郷愁を覚える世代もおそらく氾濫するネットイメージのなかで堕落しているに違いない。中年よ、コルトレーンを聴け。エルヴィンに果てろ!
 で何の話かというとソプラノサックス Selmer Sopranosax Model26の続きである。

ついにシャンクを切られたり削られたS80たち。右はカット前
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 S80のC☆、を試してみると結構いける。どうもシャンクというよりはマウスピースの構造に要因がありそうである。チェンバーは狭い方が音程が安定するようだ。しかしとりあえず当初の方針どおりシャンクは切っちゃう。結果は反応がよくなり、音色が好ましくなり歯切れもよくなるが、音程に関してはさほど変化はない。そのうちにS80,Eも入ったのでそのまま吹いてみるとなかなかいい。このあたりは以前マークⅥでもお試し済みだがこんなによくなかった。つまりこのModel26はこういったクラシック、吹奏楽御用達のMPでもかなりはじけたいい音がするのだ。音程はやはりC☆☆やC☆にくらべるとやや荒れる。でも同じところ(ポイント)をねらうと決して無理ではない。つかえる。でもシャンクは切っちゃった。
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 次に登場したのはSelmer S90.170とVandren S27である。S90(須川某の選定プレートが貼ってあった)は久々に吹いたがヴァンドレンは初めてである。もっともクラの5RVは持っているけど。これがなかなかいい。完全にクラシックでしか使われない奴らであるが、Model26で吹くとショーターサウンドである。ちょうどネイティブダンサーの頃のね。当時はマークⅥとリンクスラントだと思うけど。この子たちはシャンク切りは免れた。どう考えてもそのままメインとしていけそうなので。
 ここで前にあきらめたソロイストとメタルも試してみたのだが、なんと使えるではないか。もちろん力んで噛みしめると2オクターブ目の音程は上がりにあがる。でもダークな音色の部分でコントロールすると音程はキープできる。C#とDの音程もどうにかとれるポイントがある。
 どうも私の体の方が変わってしまったようだ。「気がついたら私が調教されちゃっていたんです」
結論が出た。
・ラージチェンバーのMPはコントロールが難しい。
・クラシック用のチェンバーをもつMPでも音色は十分ダーク。
・無理なく使えるリードであまり噛まないでリードを曲げずに吹く。
・かといって極端なファットリップスやダブルは無理なので、サーボをかけるようにリードをサポートするのがよい。
・あまり小細工せずに口の容積を十分にとり、正しい呼吸法でたっぷり吹く。
というところか。結局クラシックで言うような正しい吹き方で攻めていけば体の方が順応するようである。それにしてもこの楽器は楽しい。発音に関してはマークⅥより吹いていてストレスがない。しかも価格相場はⅥの半分程度である(ただしイシモリの戸井田さんのフルオーバーホールが必須だけれど)。とても初心者には勧められないが、本来のサックスという物があるとすればこの楽器に近いのだろう。マークⅥ、SA80と車で言うとオートマのような機能は進化したのだが、失ったものも多いのだろう。
 自分のバンドが最近ないので昨日、友人のライブに乱入し、Model26は無事バンドデビューしたのだが、音程の苦情はなく、上品にして切れ味がいいとなかなか評判であった。ソプラノの可能性を見いだした気がする。そのうち音源をアップするので聴いてください。
おしまい

Selmer Soprano sax Model26 [sax]

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左MarkⅥ 右Model26 あきらかにスケールが違う
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きれいな彫刻である。サテンシルヴァーに浮かび上がる

1926年製 その名もModel26である。
一吹きで音色に魅せられる。ギターでいえばヴィンテージのテレキャスター。
ところがこいつがすごいじゃじゃ馬。車でいえばマスタングどころじゃない。
マーク6が60年マスタングならやはりこいつはフォードModel Tである。
今、マーク6やヤマハで満足している人、またはそれさえ吹きこなせていない人は、こいつに手を出してはいけない。
音を聴いている分には十分なのだが、演奏(路上走行)となるとそう簡単にはいかない。
メカニズムは問題ないのだ。マーク6とほぼ同じである。このキーメカニズムをセルマーは60年間もほって置いたのはその完成度によほど自信があったのだろう。SA80でテーブルキーになったのが鈍くさい。ソプラノはこのサイドキーの方が実にすっきりしている。
問題は音程である。マーク6のセッテイングでは全く音程が取れない。
まず中音域C#とDの音程が全音近くある。これはどんなにアンブシュアを工夫しても全然改善できなかった。それからオクターブキーを押さえた音域のピッチが異常に高く不安定。わたしゃほとんど絶望した。自慢のダルマもセルマーメタルも古いWoodwindも全然駄目。
 ところが救世主現る。以前購入した現行S80 C☆☆のシャンクをちょん切ったやつ。これをつけると奇跡のようにC#の音程が取れるのだ。それからオクターブの音程も何とかなる。いったいこれは何故なのか。C☆☆というロングフェースのせいなのか。開きの狭いせいなのか。単なる個体の特異なのか。切ったシャンクのせいなのか。ヴィンテージソプラノに詳しいイシモリのお兄さんに聞いてみるとどれも可能性があるとのこと。仕方がないのでオークションでS80のC☆とEの新品を落札して実験してみた
続く

小泉浩 武満徹生誕80年 演奏会 [Classic]

写真をクリック↓
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 武満徹の生誕80年にあたる今年、その誕生日の10月8日にフルート奏者、小泉浩がオール武満プログラムで演奏会を行う。場所は西武新宿線、小平駅前 ルネこだいら
 小泉浩が武満の音楽の揺るぎないスペシャリストであるのはいうまでもないが、共演者も共に初演から、近年のオペラシティでのアンサンブルタケミツ演奏会まで、一貫して正統な解釈につとめた演奏を継続してきたメンバーである。安心して聴けるし、また再びこの世界にふれることが出来たという喜びを味わうことが出来るのも楽しみである。
 しかし細かいことを言わせてもらえば、『海へ』の小泉・佐藤コンビの演奏はスタジオ、ライブ共に進化(深化)を続けている。演奏時間も音色も間合いも息づかいも、今回はどうなるのか。マニアにはその分析も堪えられない。
 2010年10月8日(金)
 開場18:30 開演17:00
 入場料 3000円
 ルネこだいら中ホール
 西武新宿線小平駅3分
  0423-45-5111  
 
賛助出演
 織田なおみ(フルート)
 佐藤紀雄(ギター)
 甲斐史子(ビオラ)
 木村茉莉(ハープ) 

 曲目
マスク・・・2つのフルートのための
ヴォイス・・・「声」
海へ・・・アルト・フルートとギターのための
巡り・・・イサム・ノグチの追憶に
そしてそれが風であることを知った・・・フルート・ビオラ・ハープのための
エア・・・「遺作」

チケット申し込み Tel 050-3464-0610(大橋)
         Email contem.fl-stu@voice.ocn.ne.jp
又はこのブログまでどうぞ

CD全集 小泉浩 現代日本のフルート作品 連続演奏会+α [Classic]

写真をクリック↓
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 小泉浩氏の10回にわたる「現代日本のフルート作品連続演奏会」という伝説的偉業は1994年から96年はじめにかけて行われた。20世紀の日本のフルート音楽はほとんど網羅されたといっても過言ではないだろう。下記のデータを見ればわかるように非常に速いペースで初演を含む58曲を演奏していったことになる。会場その他の事情が許せばもっと短期間に行うことも出来たとは本人の弁である。その演奏会の全貌を、ご本人を含む関係諸氏の保存されていたDATを元に、今回プライベートではあるがCD化することが出来た。ボックスセットというものがはやっているが、これは演奏家、研究者、愛好者にとっては非常に貴重なものであろう。またFM放送用に収録されたNHK所蔵のオープンリールからもいくつかの貴重な音源がCD化できた。
 残念ながら権利上の問題で誰にでも市販というわけにはいかないが、小泉氏と関係者の許諾によりお譲りすることも可能かと思うので興味のある方は相談ください。
 以下はその詳細である。
Vol.1
第1回 1994年 10/5(水)
■ 南 弘明
独奏フルートのための”メロス” /1992
■ 外山三保子
沙 庭 ーアルトフルートによるー/1977
■ 末吉 保雄
コレスポンダンス Ⅳーフルートと打楽器のためにー /1984
■ 福島 和夫
冥  /1962
■ 喜納政一郎
クロノー・1 ーソロフルートのためにー /1975
■ 天野 正道
瑜 言我 /1980
Vol.2
第2回 1994年 11/23(水)
■ 岡崎 慶紀
フルートまたは篠笛独奏のための
オルフェウスまたは恋の音取 /1986
■ 松岡 貴史
フルートソロのための<ピエタ> /1988
■ 飯田 正紀
フルートとハープのための音楽 ”悲 歌” /1986
■ 松平 頼則
ソマクシャ<蘇莫者>  /1961
■ 田丸彩和子
フルート独奏のための ストリーム /1987
■ 三善 晃
フリュートとハープのための《燦めく翳》/1989
Vol.3
第3回 1994年 12/18(日)
■ 増本伎共子
 フルートソロのための”乱 声” /1983
■ 大前 哲
 ノン・トラモンティ・クエスタ・パッシオーネ
     独奏フルートのための/1993
■ 別宮 貞雄
 朝の歌 Ⅳー室内楽’70のためにー /1976
■ 土居 克行
Song  ーフルートソロのためのー 1/988
■ 池辺晋一郎
 ストラータⅡ  ー独奏フルートのためにー /1988
■ 松村 禎三
 アプラサスの庭  /1971
Vol.4
第4回 1995年 1/28(土)
■ 和泉 耕二
 フルートソロのためのコンポジション /1993
■ 高原 宏文
 2人のフルート奏者のための”コミュニオンⅢ”/1984
■ 峰村 澄子
 「舞」ーアルトフルートのためのー /1984
■ 川崎 優
12音技法による2つのフルートのための小品集より /1988
■ 松平 頼暁
 ガゼローニのための韻    /1965-66
■ 柳田 孝義
 「鏡」       2本のフルートのための /1980
Vol.5
第5回 1995年 2/28(火)
■ 青木 孝義
 呪詛Ⅱ ー無伴奏フルートのためにー/1973
■ くりもと ようこ
  Scenes in Blue  /1987
■ 武満 徹
海へ           /1981
■ 鈴木 博義
 二つの声    /1955
■ 松尾 祐孝
 フォノⅥ   〜フルートソロの為に〜 /1990
■ 福士 則夫
 フルートとギターのための「夜は紫紺色に明けて」  /1992
Vol.6
第6回 3/28(火)
■ 高橋 源行
 アルト・フルート、ピッコロおよびフルートのための
      三つの断章         /1963
■ 飯沼 信義
 2人のフルート独奏のための「テーマと変奏」/1990
■ 遠藤 雅夫
 <光の春>フルート、アルトフルート、ピアノのために /1989
■ 佐々木 隆二
跡絶えたうた            /1998
■ 湯浅 譲二
 フルートソロのための領域    /1978
■ 佐藤 敏直
 遠い国々への伝言      /1986
Vol.7
第7回 1995年 10/3(火)
■ 野田 暉行
 フルートと打楽器のための「エクローグ」 /1970
■ 本間 雅夫
 風 響/ー独奏フルートのためのー<改訂初演> /1995
■ 毛利 蔵人
 冬のために        /1984
■ 川本 哲
Nonagon           /1995
■ 浦田 健次郎
 メロスⅢ    ーフルート、クラリネット、打楽器によるー/1990
Vol.8
第8回 1995年 11/4(土)
■ 江村 哲二
 「インテクテリア第1番」
独奏フルートのための <初 演>    /1991
■ 伊佐治 直
 夜の裏側      /1994
■ 松下 功
 エアー・スコープⅠ
      ーフルートとハープのためのー /1984
■ 高野 眞理
フルート・ソロのための ”恋 歌” /1985
■ 山田 泉
 透徹した時の中で   
   ーフルートとハープによるー    <初 演>  /1995
Vol.9
第9回 1995年 12/19(火)
■ 下山 一二三
 独奏フルートのための『燭』     /1993
■ 延原 正生
 閉ざされた風景    /1989
■ 湯浅 譲二
 2つのフルートによる「相即相入  /1963
■ 近藤 譲
歩く                 /1976
■ 武満 徹
 声(ヴォイス)    /1971
■ 矢代 秋雄
 2本のフルートのための ソナタ   /1958
Vol.10
第10回 1996年 1/28(日)
■ 八村 義夫(1938ー1985)
 マニエラ ーフルートのためのー  /1980
■ 甲斐 説宗 (1938ー1978)
 フルートとピアノのための音楽 /1978
■ 諸井 誠
 ー無伴奏フリュートのためのー パルティータ /1953
■ 坪能 克裕
Eyes ーフルートのためのー<初 演>      /1995
■ 林 光
 フルートソナタ    /1967
■ 武満 徹
 巡り ーイサムノグチの追憶にー     /1989
Vol.11
1 セクエンツァ (ベリオ)
2 エクローグ (野田暉行)
3 輝ける手(福士則夫)
4 冥(福島和夫)
5 フルートコンチェルトⅡ(ジョリヴェ)
   ー小泉浩リサイタル 現代音楽の夕べー
     東京文化会館小ホール 1971.10.28
Vol.12
1 ZONE(福士則夫)
Fl 小泉 浩 Vn 田中千香士 東京コンサーツ
Perc 有賀誠門 百瀬和紀 今村三明
指揮 岩城宏之

     1972.12.13 NHK FM
2 フルートソナタ(バッハ)
Hp 本荘玲子
3 セクエンツァ(ベリオ)
4 パンの笛(ドビュッシー)
     1973.2.15 夕べのリサイタル NHK FM
Vol.13
1 メロディー (ノブロ)
2 シチリアーノ (フォーレ)
3 ソナタ(クロムフォルツ)
4 星たちの息子(サティー 武満徹 編)
5 間奏曲(イベール)
   1976.6.4 夕べのリサイタル NHK FMー
6 幻想曲(ドップラー)
7 フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ
               (ドビュッシー)
8 メヌエット(C.P.E.バッハ)

1978.4.17 NHK 505スタジオ
Vol.14
1 無伴奏フルートのための「領域」(湯浅譲二)
   1978.6.4 NHK イイノホール 
    海へⅡ (武満徹)
2 夜
3 白鯨
4 鱈岬
   1978.4.17 FMクラシックアラカルト NHK FM
5 フルート協奏曲 (真鍋理一郎)
   1984.8.29
Vol.15
1 フルートとピアノのための音楽 (甲斐説宗)
2 ヴォイス (武満 徹)
3 ネブラ (フランク・ベッカー)
4 フルートのための領域 (湯浅譲二)
5 歩く (近藤 譲)
アンコール
7 Dencity 21.5 (ヴァレーズ)

   ヨコハマリサイタル1982.1.22〜6.30
           神奈川県立音楽堂
Vol.16
1 2本のフルートのための協奏曲(ドップラー)
2 悲しきワルツ(シベリウス)
   1983.5.30 新宿文化会館 

3 フルート協奏曲 D dur (モーツアルト)
4 精霊の踊り(グルック)
    2.23 青少年コンサート NHKサービス

5 スペインのフォリア(マレ)
6 ソナチネ(デュティーユ)
7 呪文(ジョリヴェ)
    6.19 夕べのリサイタル NHK FM
Vol.17
小泉浩と仲間達 武満徹作品によるリサイタル 1998
1 ヴォイス
2 ブライス
3 海へ
4 巡り
5 そしてそれが風であることを知った
6 エア      

この記事をあげてから若干の反響があり作曲者縁の方から唯一のレコーディングとのことで作曲者共々CDを聴きたいというご要望があり、お分けするということがあった。喜ばしいことでありました。

 
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The solo ソロ サクソフォン パーフォーマンス [jazz]

 テナーサックスのソロ(無伴奏ね)をやらかしてしまった。滅多にないことだし、顛末を記録しておこう。
場所は大久保にあるNPO、アリラン文化センターのライブラリ。
 昔からの知り合いがそちらの理事さんで、そこから話があった。それで無謀にもやらせていただいた。
だいたいサックス吹きに言ってもなかなか事態が理解されなかった。(本当に一人だけでやるのー?)
本番でも語ってしまったけれど、ワンステージ、無伴奏サックスで呼ばれるとしたら、2つの可能性しかない。1つ目はプロモーターが恋人の場合。2つ目は演奏者がロリンズの場合。今回はそのどちらでもない。もっとも大谷石の採石場跡でバッハのチェロ組曲ならありだけど、今はまともに吹けるのプレリュードだけだもの。やっぱジャズで勝負だ。
 それでプログラムを練った。一応(お約束らしい)「アリラン」をプログラムに入れて欲しいということが先方の希望にあった。それからいつもクインテットでやっているような曲は不可能だし。お客さんにはサックスはおろか普段ジャズを聴かない人も想定される。これは聴く方は現代音楽の初演並の体験になることだろう。それにムード音楽をやる気はまったくない。若いもんはサム・テイラーも知らんだろうしな。そして、はなっからこちらの頭にはロリンズしかない。まね出来ゃしないのに貧困な先入観である。サックス大中小にフルート大中小をずらっと並べて驚かすという手もあったが、キワモノっぽくなるしな。で・・・。
 1曲目は「Moritat」(Mack the knife)に決定。シンプルな歌物でキャッチする作戦である。初っぱなからフリーキーなブロウで聞き手を諦めさせるという方針もないではなかったが、ゴーシュもいきなりインドのトラ狩りは弾かなかったのだ。
 2曲目は「God bless the child」。ロリンズから抜け出せない。バラードは必須だとは思っていたので。ピアノがいないイメージで選びやすかった。しかしジム・ホールは偉大だとつくづく思うのであった。
 3曲目は「Airgin」。速い曲だが進行が美しいのでコードトーンを中心に固めていけばそれなりにおもしろいので。しかし知らない人には訳分かんなかったよなあ。この辺でロリンズと大久保の関係についてとサックスの歴史の講釈をたれる。
 4曲目はCharles Lloydの「Requiem」。後で聞いたらこれが一番印象がよかったらしい。9.11の曲だ。だんだん社会派っぽくなってきた。
 このあたりでアリランだが、ただやってもおもしろくないので自分のマークⅥの元の持ち主の在日2世のK君のアメリカ行きに係わってこの楽器を買い取ってあげたことなどをお話しして、「Basin st blues」、 「アリラン」、そしてロリンズと同じ年で1月違いの誕生日の武満徹の「翼」のメドレーにした。このときソプラノサックスもサービスというか苦し紛れに吹いた。model26の登場である。この楽器は音程が84歳なので無伴奏でもないと出番が無いのだ。
 8曲目は「Nearness of you」。これも初めての曲だが吹きやすい歌物だ。
 9曲目はスタッフの女性からもリクエストがあった「St Tomas」。ロリンズで締めることになってメデタシ。このまま終わろうと思ったがアンコール(やっぱり義理で求められるのよね)で「Everytime we say goodbye」。蛇足だった。失敗したし。

 途中で酸欠(ソプラノの時は過呼吸)になったが頭の中は意外とクールでアドレナリンがよく出ていたなあ。ランナーズハイの状態。
 1時間無伴奏で吹けるっていう自信はついたけど。もう一回やれっていわれたら・・・まだネタはあるのでプログラムは組めるぞ。でも当分ご勘弁かなあ。せめてギターとくらい一緒にやらせてくだされ。
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聞く耳を持たなくなってしまった・・・・。 [poem]

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 鳩山就任の「命を守りたい」にものけぞったが(いい意味でね)、「国民のみなさんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってしまった・・・」という辞任の会見での発言を聴いたとき、かなりのけぞったぞ。言葉にはこだわるこのブログとしては。
 麻生がいみじくも「俺だったらすごく叩かれていた・・・」と感想をもらしていたが、ヤツの場合、日本語の使い方が間違っているということでバカにされていた可能性のほうが高い。鳩山の場合、わたしゃ確信犯とニラんでいる。
 「聞く耳を持たない」という情況は学校の先生ならいやと言うほど味わうもので、アホな生徒に「それはいじめだからやめろ」といくら説明しても理解しないとか、暴力で物事を解決してはいけないと説得しても暴れないではいられないツッパリとか、ほとんど教師のトラウマになるくらい日常的なことだ。わたしもこれで教師を辞めたと言っても過言ではない。
 つまり、「聞く耳持たない」は、こちらが正当な行動や言動をしているにもかかわらずそれを納得しないバカ者を批判する言葉でありますね。
 それを民主国家の首相が最後ッ屁のように辞任に際して言うのはいかがなものか。批判は少しはあったらしいが、あまり国民にはこの最後ッ屁は利かなかったらしいのだ。
 それもそのはず、聞く耳を持たないという情況はかなり正確に国民の行動を言い当てていたので、当事者(国民)に比較的すんなり受け入れられたのだと思うのだ。たとえば内閣支持率、こんな数字はさしたる理由や批判材料もなく「聞く耳」のあるなしでかなりデジタルに、二進法的に出てくるに決まっている。おまけにマスコミの発問もかなり恣意的、誘導的だし、報道の仕方も非常に作為的だ。加えて歴代の自民党内閣の官房機密費から金500万円也のお手当をもらわなかったのは野中広務によれば「田原総一郎」と「朝日新聞」だけだったという。このことに関してはマスコミ界、ジャーナリズム界に対して「米トヨタ問題」並の批判があってもよさそうなのに、今のところ何も起こらない。朝日もたいした新聞じゃないけど、良識のある国民なら朝日以外の新聞の不買運動くらいすればいいと思うけど。鳩山、小沢の金権体質などよく批判できたものだ。毎日など「政治家に理想はいらない」とまで言っている。だったら新聞は要らない。週刊ポストとか週刊現代で十分だ。
 さて普天間問題。これが鳩山の命取りになったのはまちがいない。しかし(とくに沖縄の人たちが)鳩山を「ウソつき」「詐欺」よばわりするのは正確だろうか。ヤツは当初、本当に県外、国外を実現するつもりだったのは間違いない。結婚詐欺というのがあるが、これは初めからだますつもりのことが多いだろう。しかし固い決意があって、でも周囲の反対や経済的理由で結婚できないという場合「詐欺」よばわりはしないだろう。反対されればさらに炎は燃え上がり駆け落ちなりするものだ。断念するにしてもそれは悲恋でありウソつきではないだろう。腐った日米関係と一部金権、利権が戦後営々と続いてきた沖縄基地がそう易々と変えられる訳がない。そうして大多数の国民のポピュリズム。この普天間→辺野古の選択は実は国民の選択だろう。多少の経済的不安定よりも基地の撤退を選択する日本人がどれくらいいるのか。中国や朝鮮半島の国と共存関係を築くより基地があった方が安心、そのためにはやっぱり基地は沖縄でしょう、これが(大多数の)日本人の本音だろう。100年はおろか10年後のことさえ考えていないこのバカ民主主義国家。
 自民党は終始、沖縄県民に期待を持たせたことを批判していた。これはほとんど差別的といっていいだろう。沖縄の人々は基地のない情況の期待すらするなというのか。くさい物は沖縄に確かに存在するのだ。鳩山はそのふたを開けてニオイを日本中にまき散らしてしまった。ニオイすらいやだというのに実際に基地がある沖縄はどうすればいいのだ。その答えが自民党には永久に出せない。それに事業仕分け、沖縄返還の密約問題、官房機密費問題、その他自民党では絶対あり得なかったことが少なくとも政権交代で成し遂げられたのは間違いない。その自民党をまた選ぶ奴がたくさんいるとしたらこんな国はもうどうなってもいい。その国民のレベルの政治しか持てないのは古代から自明だ。
 社民党は(どうせ泣くなら)やはり泣きながらでも署名をして将来の基地撤去への期待をつなぐべきだったのではないか。政権離脱と新総裁の路線踏襲で一層辺野古が既成事実化してしまった。どうせ議席なんか無いんだからもうちょっとがんばればよかったのに。共産党はオバマに面会して有頂天になっていたが基地問題で少しでも鳩山を援護射撃したのかあ?。ただただ失脚を喜んで手柄顔しているようにしか見えないが。
 さて菅直人。「市民運動から総理大臣」はこの国では小学校卒の首相より画期的だろう。ただしあの市川房枝の書生だったときの抜群のさわやかさはない。厚生大臣で薬害エイズを暴いたときの鋭さもない。でも最後の期待を寄せている。あまりイライラしないでやってほしいものだ。
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 PS. 言い足りないことがあった。この男は自分が勤務の実態のない会社の社員だったとき年金未払いの問題で「人生色々、会社も色々」なんていって国民をバカにした。それから「公約を守らなくたってたいしたことはない」と平気で言った首相である。それでも国民は聞く耳を持っていた。まるでロバの耳なのか馬の耳並か、日本人の耳は。マンマとこやつは郵便事業の利権をアメリカにタダでくれてやろうとした。
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E-Pin企画10周年記念公演+城山羊の会 『イーピン光線』作・演出:山内ケンジ [演劇]

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 2月14日 下北沢 駅前劇場
 昼下がりにテレヴィを見ることがある(その時間帯以外にテレヴィをつけることはまず無い。お笑いやワイドショーにたやすく侵されてしまうからだ)。候補は放送大学の「宇宙物理」、NHK教育、高校講座「世界史」(今日のアメリカ合衆国はおもしろかった)それからテレビ朝日の刑事ものの再放送である。まあこの刑事物だが、テレヴィ番組のなかでは比較的良心的でヒューマニズムがありオジサン、オバサンで見ている人は多いのではないかと思う。なかでも『相棒』が一番人気なのは想像に難くない。
 それでもって刑事物といえば未成年者略取誘拐ですが、誘拐事件のプロットをしっかり逸脱して、それにつっこみを入れる間もなく劇は進んでいった。それは山内ケンジが小賢しいおじさん達の考えるヒューマニズムをあざけり笑っているようであり、そして所詮マスコミがキャピュタリズムの端末装置であり、良心のかけらもないことを高らかに宣言しているようでもあった。
 それで進行している誘拐事件が誰かの病的な妄想であることが次第に明確になっていくのであるが、今回の劇も現代の病理をよく観察し、おもしろがって、劇場という空間に誇張して構築していくという手法が手際よく構成されていた。
 ワールドワイドなはずのネットが実は非常にローカルに機能しているということ。主婦達のコミュニティが見えないネットコミュニケーションの中で埋没しているという現実。ローカルな現象である犯罪が分断された関係の中で変質し凶悪化する可能性が高いこと。ネット社会で個々が持っているアウトプットは安易であるが非常に危うく、アウトプットを持たない場合、もっと危険で、自己を浸食していくということ。持たざる者が病んでしまう現代。現実の中でまともに生きるには病んでしまうしかないのだろうか。一番罪のないように見えたあかねさん夫婦がもっとも病んでいるという設定もおなじみだった。
 妄想の中に登場してくる一見正常な人々は実は微妙にゆがんでいてリアリティーが希薄で、この劇では「妄想」にだけ唯一リアリティーが存在するように描かれているのも秀逸であった。
 そもそも妄想と現実にどのような違いがあるのか。夢とうつつにどのような本質的違いがあるのかというのはギリシャ哲学でも儒学思想でも主題となってきたことである。
 以前も山内劇が観劇者の参加を強いる性格が強いことを指摘したことがあるが、今回の
『イーピン光線』では会場全体が虚構の主体であるかのようだった。観客たちが虚無の中にいる自身を演じているようでそれは恐ろしかった。そして劇の終わりに近づくにつれて本当に現実感が妄想の主体であるあかねさん(と黒川刑事の悲しみ)にだけ収束していき、見終わった後もそれは持続するのであった。それは今も自分の中で真実として持続している。これこそが山内ケンジの最近の成果なのだろう。このことはこの劇をよく理解できなかったヒトにもサブリミナル的に共有されているに違いない。これは見事であるが、よく考えると恐ろしいことと言わねばならないかもしれない。
 「あの劇を観て自分が虚無の中に生きていることを自覚した者がどのくらいいるのだろうか。是非知りたいものだ」と自分だけ覚醒しているかのようにいうのはたやすく、小賢しいのだが、本当は自分も自覚していないのだと思う。マンションの隣の号のうちのお父さんは白いイヌかもしれないのだから。なによりも「罪」だけは没個性、共通の顔をしていて、しかも異形なのだ。
 

YAMAHA Soprano Sax YSS-62S [sax]

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left: Selmer MarkⅥ---------------------------------right: Yamaha YSS-62S
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abobe: Selmer MarkⅥ-----------------------------below: Yamaha YSS-62S

試聴→ Central Park West MPはS80 C☆☆のシャンク切ったやつ リードRICO4

 ヤマハYSS-62Sである。ピッカピカのね。70年代後期から90年代初期まで作られていた楽器。
ヤマハからこの62シリーズが出たあたりからセルマー本社が危機感を持ってSuperAction80の開発を急いだという話を聞いたことがあるが、本当なのだろうか。とにかくソプラノに関してはセルマーはマーク7なしで左手サイドキーがバランス時代のままのマーク6であり、操作性で問題意識があったことは間違いないと思うのだが。しかし残念ながらその後のSuperAction80のソプラノはこのYSS-62に及ばないようである。初代は音色はなかなかいい物もあるが、操作性は62よりよいということはない。何より音程はヤマハの方がとりやすいようだ。作りが丁寧で彫刻も美しく、当時の物作りニッポンのレベルの高さを体現しているような楽器である。ヤマハ自身もその後のネックが取れるソプラノが果たしてこれを越えているかというと疑問だが。ただしYamahaのアルトやテナーは、ジャズではやっぱりメリケンサックスに比べると音が寂しい。
 それではマーク6のソプラノはどうなのかというと、音質は圧倒的に深い。倍音の成分は何といってもマーク6が上である。ただ、いいマウスピースを組み合わせなければならない。ヤマハはマウスピースを選ばない。むしろ付属のヤマハのやつが一番バランスがいいくらいだ。
 コルトレーンの音はマーク6でしか出ないが、80年以降のショーターサウンドならばむしろヤマハのほうが実現しやすい(本人が使っているのだから当たり前か、ただしR、RS)。
 アメリカでは62Sの方がマーク6より人気があるなんていう噂も聞いたことがある。でももし店頭で同じ程度で2つ並んでいたらマーク6を買うべき。サイドキーは慣れれば全く問題ない。
 ビンテージのソロイストを買うお金がない場合、銀メッキが極めてきれいな場合は、62Sを買うべきかもね。それから都内某ISHIMORI楽器には当時よりも良質のYSS-62用のパッドがあるからオーバーホールも条件になりますね。 
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