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フレディー ハバード [jazz]

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 訃報から始まる元旦もいいものだ。
 朝刊に小さく出ていた。用意された長めの特集記事が多い中にひっそりと。
 出会った頃の評価は「サックスのようにトランペットを吹く」というもの。必ずしも褒め言葉ではなかったが、やはり異才だったろう。本当は彼にしかできないトランペットフレーズだったことを世界中のTp吹きは思い知っていたはず。
 その後、彼は譜面を読めないTpだといわれた。実は彼は読まなかっただけで、やはり誰にもできないことだった。それはジャズのみならず音楽の本質への最短距離なのだから。難しい曲でも一度のリハーサルでリフも進行も完全に把握できたという。楽譜が読めるようになるとアドリブはつまらなくなるものだ。こういう経験はよくある。
 サックス吹きが2管でアレンジするとき、想定するのはクリフォードか、モーガンか。ちがうな、フレディーだろう。下でハーモニーをつけて一番気持ちがいいのは彼だ。マイルスはおっかないしね。ただしソロでは完全に食われる。それでもジョージ・コールマンは幸福だっただろう。
 日本でジャズフェスが等身大で文化現象だった時代、あるジャズフェスでタモリがステージでロングトーン比べをしようと提案した。かれは胸を指さし「ラッパはここで吹くんだ、おまえにはハートがないのか」とのたもうた。体育系Tpとも言われたが誰よりも繊細だった。
 晩年のある時期、彼は唇に障害を持った。トランペット奏者は基本的にスタイルを変えないので自分のフレーズを吹こうとするのだが、それを完全に音にできない。見ていた我々はその音を補完して聞くことができた。それは最盛期よりも感動的だった。彼には屈辱だったのだろうが。我々はいつもフレディーが好きだった。
 自分にとって彼の最後のCDはジョーヘンのビッグバンドにおけるソロだった。それは輝いていた。復活した人を見るとき、人はうれしいものだ。
 あの世でマイルスはうるさい奴が来たなあと思うに違いない。この世代を失うことでジャズはまさに命を失うが、古典としての価値は揺らがないものになっていく。それは寂しいが、歴史とはそういうものだ。
 
 
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ゆかり

タモリの司会は語り草になっているものがありますよね。
you remember Pearl Harbor
I remember Clifford
とか。
 フレディは、フレディのアルバムを積極的に聴かなくても、ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやエリック・ドルフィーを追いかけてゆくと、いつもそこにフレディがいて、完璧な仕事で花を添えていましたよね。トニー・ウィリアムスやマイケル・ブレッカーの若すぎる死を悼むのとはまた別の、この人たちが次々に亡くなって行くのだという時の流れを突き付けられたようで、大いに感慨があります。

 リクエストで、up jumped springをお願いします。合掌。


by ゆかり (2009-01-02 01:41) 

herosia

 ゆかり様、あのときのステージは外からのぞけないようになっていたのですが、山中湖の中からはよく見えて、ボートに乗った人たちがただ見をしてまして、タモリとアルフレッドライオンが「ありゃボートピープルだ」とかいっていました。ジョーヘンとフレディーのドルフィンダンスが聴けて夢見心地でした。あれ、初夢だったかな。
 up jumped spring、続けてデックスとのdrifttin、CTIでのリーダーものも外せません。red clayもいきましょう。
by herosia (2009-01-02 08:58) 

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