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鳥羽亜矢子ピアノリサイタル 川口リリア 音楽ホール 2009.10.15 [Classic]

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J.S Bach 半音階的幻想曲とフーガBMW.903
A.W Mozart 幻想曲 ハ短調 K.475
L.V Beethoven ピアノソナタ ホ長調 Op.109
F Mendelsshon 序奏とロンドカプリチオーソ Op.14
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F Mendelsshon ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ヘ長調(1838)
J Brahms ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第3番 ニ短調 Op.108
pf 鳥羽亜矢子
vn 澤 亜樹 

 10月になってから毎日、現代音楽のテープ編集とCD制作をやっていた。おまけに前夜は現代曲のコンサートで2台のピアノによるヒジ打ち、頭突き何でもあり(今時ジャズでもやらない、ありゃあオペラシティーの調律さん泣くよなあ)を聴いた。そんなわけで久しぶりの正統派クラシック音楽なので車の中でグールドとアルゲリッチのバッハで頭を初期化してリリアに臨んだ。(いやな客である。)
 1曲目のバッハはバッハの中でも一番絢爛豪華でしかも先進的な曲だと思っていたもの。非常に意欲的な演奏で素晴らしかった。鳥羽さんの演奏は「技術」がどうのこうのというレヴェルはとうに超えられていて安心して聴くことのできるものだった。幾多のコンクールをかいくぐってきたという人にはありがちな刺々しさをまったく感じないのでスタインウェイがとても丸く美しく響く。
 ところが2曲目のモーツアルトの幻想曲が始まってさらにうなってしまった。バッハと見事につながったのである。まあ同じ「幻想曲」というテーマがあるにしろここまで音色と対位法的な共通点が感じられるとは思わなかった。わたしにはここで今夜のプログラムの意図が読めたように思えた。これ(第一部)はバッハからそのバッハ復活の立役者メンデルスゾーンまでを連続する対位法の縦糸で紡いだ組曲であるのだと(われながらうがっているなあ)。あとはまったく違和感なく、この贅沢で奥行きのある組曲をゆったりと楽しむことが出来た。
 バッハはもともと田舎の一作曲家で、当時もさほど名声がヨーロッパ中にとどろくようなこともなく忘れ去られていった音楽家であった。しかしバッハの偉大さは、その楽曲の価値のみならず、子孫と弟子の多さにあった(これは最近読んだフルーティスト大嶋義美さんのムラマツ誌上の文章の受け売りである)。モーツアルトはかなり意識的にその作風からポリフォニックさを廃して、一見、和声とモノフォニックな旋律の自分らしい語法を確立したかに見える。しかしもちろん(ハイドンに続き)バッハ直系といえる理論は引き継いでいた。とくに貴族から嫌われたといわれるこのような短調の、複雑な音楽には縦横に対位法を用いて過去から未来へ突き抜けるような音楽を作ることが出来た。ベートーベンを教えたネーフェはバッハの曾孫弟子である。ベートーベンは弦楽4重奏にこれでもかとばかりに大胆にフーガを取り入れたし、この曲に代表される晩年のピアノソナタにはフガートを積極的に挿入した。続くシューベルトは対位法をまったく学ばなかったと言われている。しかし、忘れ去られていたバッハを見いだしたメンデルスゾーン。彼の大叔母はJ.Sバッハの次男C.P.Eバッハの直弟子だった。彼女はバッハの原典の(当時出版などされていない)平均律クラヴィーア曲集の楽譜を入手できたのであった。死後すぐに忘れられたバッハの音楽は地下水脈となっていて、その湧出は約束されていたのである。
 話はものすごくそれて余談になったが、このプログラムの構成者は巧みであったと言いたいのであり、それは鳥羽亜矢子の演奏によって大成功をおさめていた。欲を言えば、この水脈をさらにたどり、シェーンベルクによる、かのマーラーに「途中で彼の対位法を見失った」と言わしめた12音音階の胎動まで聴きたかったのだが、これはマニアックに過ぎるか。
 本題に戻る。しかしこんなことができるピアニストはそうそうはいるまいと思うのである。ドイツ・オーストリアのバロックからロマン派までを統一感をもたせ、しかもその曲の美質を余すことなく表現する。これはピアノでも最も難しいと言われる伴奏に長けた鳥羽さんだから出来ることなのかもしれない。いろいろな器楽奏者の際立った個性を損なうことなく発揮させるということに低通することなのかもしれない。言い忘れたが鳥羽さんはアメリカで修行(あのシュタルケルの伴奏をしていた!)後、現在東京芸大の器楽科の伴奏という職にある。これはぶっとびすごいのだ。筆者は芸大器楽科大学院フルート部のマスタークラスのおさらい会に潜入したことがあるのだが、そこでみた伴奏ピアニストという人は、横着な学生が前もって渡さないでいた我々には訳のわからないような現代曲の伴奏譜を、本番その場で渡され、片方の眉をピクリとつり上げる程度のリアクションで初見で弾いてしまえるような異才を持った人々なのである。

 第2部のメンデルスゾーンとブラームスは文句なく楽しめた。ピアノとヴァイオリンのための(または逆の表記の)ソナタというのはこうでなくてはならないというお手本のようで、見事な共同作業で独奏者と伴奏者という関係ではない作曲者の真意をよく表現していたと思う。天才少女といわれるようなヴァイオリニストの刺々しい表現につらい思いをするというような心配は全くなかった。澤さんの若々しい音は魅力的だった。

 現代音楽からウィーンフィルまで、ことしもたくさんのコンサートに行ってしまったが、この鳥羽亜矢子リサイタルは今年のベストワンになっちゃうかもしれないなあ。
 私事ではあるが、実は鳥羽亜矢子さんは個人的には面識はないが筆者のご近所さんで、この文化的に貧しい埼玉県K市の新星なのである。しかしひいき目を取り除いてもすごい逸材で、今後も期待してしまう。いろいろな曲を聴かせて欲しいものだ。管楽器との共演も興味がある。プロコやフランクのフルートソナタ(フランクはヴァイオリンだが)なんかも聴きたいものであります。
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