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障害者の害は害虫の害か 詩人に訊け! [poem]

障害者.jpg  
 障害者ではなく障碍者と書くべきだという主張を読んだ。実際、漢字使用外国圏ではそういう事が進んでいるということも書いてあった。理由は障害者の害は害虫の害の字と同じだからなのだそうだ。そういえば運動会の障害物競走という名称もよくないなんて言う人もいた。「碍」という字はなんだか懐かしい。昔、電柱の上についていた絶縁陶器を碍子といっており、当然のように周りの大人は使っていたが、碍という字の意味はわからなかった。広辞苑によれば「碍」とは妨げる物という意味があり、やはり絶縁体の意味で使っていたようだ。しかし障害者の害って害虫と同じ字だが、害虫というような意味まで包含しているだろうか。ましてや障害者が社会の害虫だというような意識を持っている人などいるのだろうか。そういう人がいるとしたら、それはその人の感覚に問題があると思わざるを得ない。もっとも障害を持つ人がそう感じているならば、話はもう少し複雑になるけれども。
 むしろ障害者という意味をあえて冷静に考えるなら、ふつう(筆者はこう思う)は、「社会の構造が人間へ顕在、潜在的に害をあたえる要素を持っていて、その被害を比較的被りやすい人」という意味だと思うのだが。
 またはこの言葉をはじめて学習し、知った子供が先入観としてそういうニュアンスをうけやすいとでもいうのだろうか。そんなことはあるまい。そう考えるとしたらそれは子供のことを知らなすぎる。子供の言語感覚はかなり白紙に近いものだ。害という言葉が自動的に差別を助長すると思う人は、人の生得の残酷さや愛を、子供の無垢な残酷さや愛を知らないのだ。彼らは異質な物を(残念ながら)恐れ、排除しようとする事が多い(本能か社会的刷り込みか)。そしてそれを反省し克服する可能性も持っている。害という意味を短絡的に害虫の意味に結びつけ、問題だと感じる人は、それを乗り越えていく人間の可能性にも盲いている可能性がある。
 世の中に差別語が増えていて、新しい言葉を作るということが多くなっている。精神分裂病が統合失調症という言葉におきかえられたようであるが、統合というものを失調するという意味はすごくネガティブなのではないだろうか。この言葉も早晩差別的だということになるのは目に見えている。言葉が差別的なのではなく、社会に差別がある限り言葉は差別を内部に増殖していく運命にあるのだ。
 メクラという言葉がダメということになり(おかげで勝新の『座頭市』なんか全然テレヴィでやらなくなった)目の不自由な人なんて言っていたことがあった。この「不自由」なんていう言葉はネガティブそのものではないか。自由を否定しているのだから。「自由にあらずんば死を」というのはハリウッド的なバカヤンキーがむかし唱えていた主張であり、今も国民皆保険に反対しているアメリカ保守主義者どもはこう思っているにちがいない。メクラを社会主義者や共産主義者と一緒くたにしたらメクラに失礼というものだろう。(この言い回しの場合、どっちをより貶めているのかわからなくなっちゃったぞ。)自分も働いていたとき「先生」といわれて蔑まれていたことがあった(とくにジャズ関係者に)。親や子供に教師を蔑むようにし向けたのは明らかに戦後の政権(特に自公連立政権)や文部省以下教育委員会だ。言葉なんて「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」ということばがいみじくも示すように社会が意味を与えるものなのだ。
 だいたい病気の名前はネガティブである。風邪の「邪」なんて邪悪そのものだ。しかし風邪をひいた者が差別されないのは予後が順調と見込まれるからなのだろう。しかし「癌」という現代に於いてもいまだ深刻な病名に対し、反社会的な行為者を「社会の癌だ」なんて表現する者が(為政者に多いと思うが)いるというのは、思いやるべき癌患者に対して絶望的な事実ではないか。
 少し前になるが男性器には親しみやすい俗称があるけれども、女性器にはそれに相当するものが無く、旧来の名称が陰湿で性教育でも使いにくいというので、ある女性教育学者が(どう見ても言語感覚やセンスが不自由な人に思えたが)「オパンポン」と呼びましょうと提案したことがあった。こんな文字通り語感的に噴飯ものの名称が定着しなくてよかったが、女性に対する差別と性行為にたいする後ろめたさがある以上、オパンポンも隠微で差別的になっていかざるをえないのだ。オパ●ポ●。バカである。
 くどいが、精神疾患を持つ人を、たとえば「幸福者」と名付けたところで結果は同じなのだ。痴呆症が認知症になったって同じこと。そこで結論だが、言葉に反映してしまう差別意識が無くなるためには社会と個人の成熟を待つしかないのだ。それを果たすのが文学(この場合文学には科学も含まれている)の仕事だろう。小役人ごとき者が小手先で言葉(の文化)をいじるなんてことは無用だ。もしこのことを扱うとすれば、適任なのは言葉を扱うことを生業とする「詩人」という職業の人しかいないだろう。できたらカタワでメクラまたはチンバまたはツンボまたはハゲの詩人に訊くべきだとおもうのである。
(あえて現在差別的とされている言葉を使用したのは言うまでもない。それから私は比較的に社会主義者や共産主義者のシンパなのだ)
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NO NAME

2009年に書かれた記事に対して失礼いたします

https://twitter.com/h_ototake/status/335703141318270976

https://twitter.com/May_Roma/status/335727678852308992

これらの発言を見る限り障害者の害は害虫の害以外の何物でも無いと思います
by NO NAME (2013-05-19 03:54) 

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