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シアターX(カイ)『やみ夜』樋口一葉 [演劇]

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 シアターX(カイ)主催『やみ夜』(樋口一葉)を観た。その前にマイケル・ムーア監督の『キャピタリズム 踊るマネー』を観ていて、そして直前にハイチの地震があり、で実に複雑な心境で両国へと向かった。
 なにもハイチに地震が起こらなくてもいいではないか。これが不条理でなくてなんであろうか。アメリカのすぐ隣の最貧国。奴隷制度の末にアメリカにもフランスにもネグレクトされたやみ。この国ではゴミ捨て場(といっても国連軍のゴミ捨て場だが)に悪臭はないという。腐肉さえも子供達によって持ち去られてしまうからだという。アジアの子供達がゴミを拾うゴミ捨て場には悪臭が漂っているだけまだ裕福なのだそうだ。その国であんな地震が起こるとは。これでも神はいるというのか。
 マイケル・ムーアの映画では1%の富裕層がアメリカの95%の富を独占し、貧しい側の人口の95%の国民の財産を合わせたよりもその額は多いという資本主義の不条理を訴えていた。当然である。しかし、この国では「いつかおまえも大金持ち」という家庭の教育テーゼが刷り込みになってるという(ほんとかね)らしいからしょうがないのだろうか。資本主義というものの本質は確かに見えた。しかし米国では富裕層の出すゴミ(寄進)だけでも日本のホームレスよりいい食事にありつけるらしい。
 ということはグローバルな視点から見て、アメリカの富裕層というのは世界でいうところのアメリカ国家に他ならない。テロが起きても全く不思議ではない。アメリカンドリームはイスラム圏にとって全く意味を持たないし、それは絶望に他ならないのだから。
 さて前置きが長くなったが、シアターXの『やみ夜』。色々な仕掛けがおもしろかった。薄幸で美貌のうら若い女主人役が狂ったような明治文語を話す老女優であることや、じいやとばあやが比較的若い俳優でばあやが僕の好きな「お江戸でござる」のお重ちゃん(メイド服のようなものを着てた)だったりして。一葉のやみ夜が現代に直結していることも十分説得力があったので楽しめた。しかし前途のハイチの地震である。想念は別の所にも飛んでしまいがち。
 江戸の町にはゴミ一つ無く、貧しいながらも循環社会が確立し、平和で持続可能な生態系や消費システムが確立していたように見える(お江戸でござるで学んだのね)。しかし農村部には飢饉もあり、間引きや人身売買も横行していただろう。元禄とはいえ江戸のやみも隠しようのない事実だったのだ。そして一葉の明治維新以後の「やみ」。これは勃興した商人階級のもたらしたキャピタリズムの「やみ」である。武家屋敷が一切の権益を失った話は多い。山本有三『路傍の石』などもそうで、もと武士の跡目で没落した主人公の父親が「こいつが女だったら」と息子にいうセリフが実にせつない。
 「士農工商」という身分制度は、商人階級を最下層に据えて、キャピタリズムの弊害を巧みに防御する、ある意味健全な制度だったのではないかという仮説さえ思い浮かぶ。もちろん、現実には「下人」などという差別階級の存在も見過ごせないのだが。
 あまり演劇の感想にはなっていないのだが、この『やみ夜』、非常にタイムリーに多くのことを喚起された。
 ナビに引かれて両国参り、その沿道には吉原大門、見返り柳、回向院など一葉ゆかりの地所多くしてあはれなり。折しも蔵前にて大相撲の開催なれば幟など晴れやかなりしが、世の不条理に心憂きて、われ楽しまず。げに『やみ夜』の深きこと、明白な闇ほどその不条理さのきわまれる理なるべし。
 シアターX、あるご縁でその活動を知るところとなったのだが、非常に意欲的な小劇場として今後も活動を期待するところである。

ハイチに義援金を送ろう。日本ユニセフ、ハイチ義援金サイト
https://www2.unicef.or.jp/jcuApp/servlet/common.CommonControl?action=bokin&bokin_type=3&code=80522
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